併置コンデション(超具体)

 親和的な関係性(統合性)を批判する併置は、三つ必要があるとしたのは1984年頃だが、これは単に二項対立批判とかではなくて、それぞれを自立させる為の方便としての仮説だった。そして個別を際立たせる三つの併置は無関係を誇らねばならなかった。

 写真の「撮れてしまう」「映ってしまう」容赦ないモノの現実性、具体性に眼差しを向けることを続けていたから、併置の手付きもいつしか恣意を超える「置かれてしまう」具体性に牽引されている。併置の為の組立も「置かれるような」線描も、ゆえに「〜しまった」という唐突な超具体的な現実の圧倒によって、身が一度そこから剥がされるわけだ。突き放された時点で、その出来事を眺める時間(自由)を、そもそも問題としたいわけであり、そうした時間が存在しない出来事だとしたら、私にとっても他にとっても意味も価値もない。