現時点(併置)矛盾

 併置藝術の抱える矛盾は、併置されている眺められる状況と云う現時点を指し示すものでありながら、幾許たりの用意された併置であるゆえの準備(過程)がそこに忍ばざるを得ないのであって、故に併置純潔を臨む場合は即興的な仮設に於いてこそ、それは成立するわけだが、これは十全に全うできるとは限らない。「今そこ」という例えばレンズがもたらす像の示され方の正当性は、併置というよりも凍結という状況保存であり、動的な併置感はイコールされない。併置される世界素材の準備の仕方(過程)は、併置によってこそ成立するなにものかの為に企てられるので、過程が併置を凌駕するボリュームであったり、技術突出することは、現時点の矛盾以前の問題である。目の前(現時点)のみつめる対象である併置という状況が、その構造のまま恣意的に展開すること自体、散乱ではないのであり、廃墟的に放下解体状況でないかぎり、現時点を予言的に示唆している倒錯を含めてしまってはいる。つまり、この矛盾と倒錯への抑制作業が併置のもたらす藝術となるかもしれない。

 世界素材の状態というレヴェルを鑑みる態度がそのまま率直に顕われることが、準備過程における節度ある態度のひとつとなり、世界素材に対する陵辱的支配を拒絶した作業を求めることになる。世界素材の輪郭を辿る作業があったとして、百の辿りと千の辿りを想定比較し、その辿り自体が輪郭を越えていつか造反する(世界素材の輪郭ではなくなり別物の何かに化ける)のならば、その辿りは陵辱的なものと事前に速やかに判断すべきだろう。