民族・社会

所謂ベルリンの壁崩壊をピークとした東欧革命は、1978年にポーランド人として初めてのローマ教皇となるヨハネ・パウロ2世が誕生から、ポーランドとロシアとの差異化認識を促し民主化へ拍車をかけ、ワレサ(連帯)が、80年代にハンガリーと共に、先駆けて民主化を成し遂げたことと、ゴルバチョフのペレストロイカが同期し、ロシアの後ろ盾の無くなった、東ドイツのホーネッカーを引きずり下ろし、1989年11月9日に突如として「旅行の自由化」が施行されたことにより、壁は壊されたわけだが、この連関する世界革命は、ある意味奇跡的なタイミングでドミノが倒されている。
旅行の非自由化という禁制が、冷戦によって温存され、資本主義と共産主義が相容れずに対峙する構造は、国家という意味論とイデオロギーを産んだが、現在は、国家ではなく民族という流れになってきており、大きな二つではなく、様々な異種民族というマイノリティーの集合としての共同体社会を模索する時代となっている。
流石にこの国が神道に帰依する単一民族と声をあげる馬鹿は少なくなったが、逆に我々とは一体何者かと、首を傾げる者も増えているらしい。政治でもイデオロギーの終焉を説く声が強まっており、職業的・専門的な政治家・官僚によって純粋に生活向上が図られる世界構築を政治が果たすべきとしながらも、この弓形の国の意味を指し示す明快なイメージは模糊としたまま、数の理論と実践のカオスに蝕まれる様相を呈している。
こうした中、先験的な意識として緑の党が、世界各地に多発しているが、
ー政権参加の最初のケースは1995年のフィンランド緑の党 であり、最も長期のケースはドイツ緑の党の社会民主党との連立政権(1998年-2005年)である。ーwiki
イデオロギーではなく、構造理念として、環境と多種文化(民族)の共同体として、あらたにその機能を存在尊厳を失うことなく構築するには、多くの企業や構造組織の理念の共有、あるいは、目的の刷新、構造体の意味を問い直して、例えば、宇宙を目指す、あるいは森を再生する、エネルギー依存の抜本的なシステムを変革するという、太い軸に、方向性を絡ませる必要がある。祈りと同義に語られることもあるテロも、祈りの意味を保守持続でない、共有へシフトすることで、次世代という生まれくる形に対して、すべきこと、してはならぬことが、明晰になり、自爆テロの意味性を瓦解させることも可能の筈。
互恵という言葉がこの世紀の頭に顕われ、競争ではないリスペクトによる存在の保護と、関係性の再構築が叫ばれたが、互恵という観念は、まだ前世紀のゴーストの香りがする。遺伝子に刷り込まれている「光をめざす」という生き物の運動原理、存在の指向性を、そのままに捉え直すべきと考えたい。

Alain Tanner(1929~)
ジョナスは2000年に25歳になる(1976) / JONAS QUI AURA 25 ANS EN L’AN 2000
後年の彼方(1980) / LES ANNEES LUMIERE