reaction

優れたスクリプトから優れたreactionが生み出されるのは、フィルムにおいても当然だが、最近になり、どうも観客動員数確保が、差別的なコマーシャルやパーティー券販売の様相を醸すイヴェント的な娯楽大作ばかり目につき、嘔吐を通り越して、最早別の世界のことと思うことにしているが、こうしたことを呼び込んでいる輩たちが表立って恥も外聞も無く、緊迫した道化のような表情で大きな態度を示すようになった。可哀想に優秀な俳優は、生活の為にこうした環境に飼い殺されているわけだ。売り上げ市場社会は強要を良しとするヤクザと同じ。

声と云うのも、声優にしてみれば生活を支える技術だから、非現実的な要請に応え続けて完成された形というものはあるだろうが、例えば、外国語のフィルムを日本語吹き替えに変えると、普段の生活の会話がころっと偽物、つくりものになれ果てて、映像自体も嘘くさくなる。assassination of jesse james / Andrew Dominik(1967~) の音響構築に関して、吹き替えは不可能と言わざるを得なかった。ラジオというメディアは縮小傾向だが、まだまだ健在で、成熟を示す番組も多い。音声メディアが、スカイプなどのツールで活性化して、変容する可能性もある。倍速で映像と音声を早送りすると、英語は聞き取れる言語だが、日本語はネギを刻んでいるようにしか聞こえない。成る程、故に言葉を縮める省略語が造語されるわけだ。

memo:
1946年にフランス政府がカンヌ国際映画祭を初回開催。そもそもヌーヴェル・ヴァーグは、1951年に刊行されたLes Cahiers du cinéma(1991年には日本語版である「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」が創刊)において、映画制作の経験もない個人的な映画製作者を示していた。作家主義の自主映画が商業的に成功したわけだ。同時期イタリアでは、チネチッタコンテクストにおけるネオレアリズモからの低迷期があり、フェリーニやアントニオーニなどのアート・フィルムは孤立。イタリアらしいのは同時期コメディー、トラッシュ(エロタブー)が大衆の支持を得ている。
ドイツでは、”Der alte Film ist tot. Wir glauben an den neuen.” / 1962年2月28日 Oberhausen Manifestoにおいて、ヴェンダースなどが同調し、これまでの映画産業を否定、商業的に成功する作品よりも、芸術性に重きを置いた新しいドイツ映画を作り上げる活動を始める。
Ballast / Lance Hammer
The Limits of Control (2009) / Jim Jarmusch(1953~)