anti belongでもよい。属性を持たない。カテゴライズされないこと。が、つまりこの指向のはじまりと果てにある。
匿名性というものと違う。名前が無いという特徴でもない。
開かれてあるが、名付けようがなく、印象としては切り詰められている。
この場合の印象のストイックさは、本質的なものではなく、眺めの立場からの「与え」のようなある種の決定となるから、どうしても錯誤する部分が生まれる。故にこの「与え」への信仰めいた、祈り、あるいは直覚しか、この設定を持続する術がない。
属性を持たない光景という見いだしは捉えどころがないが、「よいもの」「わるいもの」「関係を促すもの」「記憶と符号するもの」「わくわくするもの」「妙で不自然なもの」といった事ごとを排他する力がなければ、様々な属性に取り込まれてしまう。注視を促すのは、その排他の力を認めざるを得ないところからはじまる。
寓話や物語で人間を描こうとするとき、間違った作家は、人間をその外見と内面を物知り顔で捏造して失敗する。我々には捏造などできないからだ。よくわかっている作家は、人間を捏造するのではなく、言い難い光景として人間をそこに置くことしかしない。
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