光ノ中

眩しさに気づいたのは南の窓辺に置かれた草木に朝陽が差しそれを当たり前のように待っている幾つもの葉が透き通って、水を与えれば背筋を伸ばすような正直すぎる瑞々しさを隠しもしないからだった。暗闇が淡く融けて行く時刻から窓の外を何度も見る度に昏いところから光に包まれる至福の時を数十年も喪失していた後悔に苛まされ、その懺悔にも慣れたような時間が過ぎた。ふと無意識の享受の軀となり歓ぶだけでよいと知るまで偏屈な観念に囚われていたわけだ。

光そのものへ軀を預けるという幼気な人間の初期設定に壊れた器を放り出すことはなかなか恥ずかしいし簡単でないように思えたが、そうするしか他はないのだから苦笑も照れくささも含めてぽかんと口を開けて白い時を過ごそうという2014年をはじめる。