記述開始

「天井岩」と「樹」の為の構想を練る。三本の樹と三つの天井岩が残る荒野。荒野という馴染みがないことに愕然とする。
 杉の世
 堕雨の世
 水底の世
 果てということ。
 終わる。どうしようもない終わりが終了する。遺跡。漂流。浮浪。静かに蒸発する沼。固有名がほしいな。木星。足跡。ピラミッド。羅列でいいから、、。完全な終了が横たわる。ミイラが霧になってずっと漂う。
 火山よりも、墓、墳墓群。蔦が忍び込んではいけない。終わり続ける終わりの形。鳥居。「神々」。塵。砂。積み上げる。積みあげらて、、。
流れる。
 断層の隙間に隠れ、拡大し、あるいは縮小する苔など。停止を反復する菌。バクテリア。超音波の視点ー意識の移動点からみた砂漠の光景は、懐かしいはずだと。
 淫夢でなかったか。
 6x6のカメラを手にいれて(クロサワからもらったバイクを売った金で、中古のゼンザ.ブロニカが、買えたのだった。暫く彼には黙っていた)、自身の作品を記録する,あるいは、作品をコンパクトに眺めるために使うようになった。眺めていないものまで描写される。現実を「現実」として切り取ると、私の眺めなどひとつの些細な感想にすぎないし、取るに足りないものであって、瞬間は実に複雑怪奇、豊饒である。こちらの目玉がカメラのようでなくてよかった。視力とは何の関係もない。
 カメラがふいに、意識を切り取りはじめる。
バチカンエントランスを見上げて。ベルリン。ゾックス。Sバーンの両脇の住宅と木々と潜り戸。パリのメトロ駅構内の曲線。八王子子安坂上。神楽坂。神の戸岩。「虎の子落とし」と名づけた滝壷。妻の写真。雲殿旅館のオンドル。仏国寺で深夜ではない早朝暗がりの中、であった若者と交換したテープは陽水のものだったかしら山本。飛鳥。レンタサイクル。ツンドラを鳥瞰したジェット機の窓がやけに小さかった。私の手。結局はこの手だと思う。筆の先。性器。娘の寝顔。空。朝の空。ブナ原生林。森。割れた樹木の内側に群れた蜘蛛が背中にはいって転がり落ちた。白い画布。炭化硅素の粒子。NHK教育テレビ。父親。川。河原。FRPでつくった偽物の岩を庭に取り付けたアルバイト。長田ビル。JR豊田駅。猿橋。
娘がこちらをみている。
意識の迷路が、複雑な庭園のように構築されているとありがたいのだが。ヨーロッパで眺めたそれと違って、ひとつ間違うと原生の森に戸惑い混乱するように出鱈目に、しかしきちんと深く。
見つめるということが、ボクの外側から訪れている。断片にこちらという現在の破片をあてはめて、意味を無理強いして、ボクは外側に在るんだなという感触。
….をしなければ….。という根拠のないコンプレックス。何もしない。という憂鬱。子供の癇癪声に似た歪みが喉でふくれていく。それはよいのだが、なぜ抑制へ傾くのか。
 寓話のような夢で、果てを眺めていた。「果て」だったかもしれぬ。何をしていいのかわからない、ヒステリックな甘い焦れに、ぼくは、むしろ満足していた。そして、そんな時間の過ごし方に異常なスピードで慣れていく。
 十五年も前の、かつての友人たちが、歳を重ねた風貌で突然現れてこちらを脅迫する。これまでの人生を徹底的に知られていたことに、お手上げだと降参すると、その瞬間から、何かとても愉快になった。
曖昧な断片を転がす。
 浅い森の記憶があって、山の湿った匂いから、湖の名残りを確信していたあの時が、机を前にした、真夜中の団地のこの部屋で、突然リアルに蘇った。