夜の重力
日々、何気なく見過ごしているコトが、ある時どうしてか唐突にひどく印象的に悩ましげに迫ってくる。ポケットの小銭を何度も指先で数えて驟雨の中走り、指先で確認できるのが穴のあいたもの位だと愚痴って抱えている些細な悩みを転がし、畜生と呟いて軒下に駆け込み、雨空を仰ぐ。するとそれまでの一切が遮断され、取り留めもない雨粒の軌跡が垂直に身体に突き抜けて、浮遊感さえ覚え、その雨自体に取り込まれることもあった。静まり返った深夜、「私」と「我々」という気分を独り手のひらに乗せて想念を遊ばせていると、夜の力が、その手の平に、これまでにココロを打ち砕かれ取り込まれたさまざまな光景を呼び込んで、しんしんと積もっていくのだ。部分と全体の彼岸という幻想を作品化する構想は、今だ混乱している。が、その混乱をそのまま維持することが、とるべき態度と決めて、断片を集積する形態となった。夜の重力とはだから、そうした呪縛を受け入れるということだ。平面に現れる象徴的な形態は、繰り返し使われながら淘汰するだろう。立体もひどく簡単な構造になってきた。さて、徐々に、頭の上から陽光の降り注ぐ正午でも、夜の力を手のひらに集めるような時間と空間を実現しなくてはつまらない。「外」を含みながら在ろうとする「個」として、また「個」が拡散、分裂して、「外」へと漂う試行は、こうした運動によって鍛えられると信じるしかない。
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