豆とろがん
帰省した折に、母親が近所の畑で採れた頂き物のグリーンピースをどっさり塩茹でしたものを、飯も喰わず酒のつまみに一晩で腹に入れていた。東京へ戻り、低気圧のせいか食欲が芳しくなく、珈琲を流し込んで数日机に向かい続けた週の半ばに、近くの店で豆を大量に買い込んだ。既に茹でてあるそらまめのパックと、生のそらまめと、栃木産のグリーンピース4パックを買い物かごに入れ、紹興酒を2本放り込んだ。こちらの籠を覗き込んで、ー豆かぁーと呟く若いサラリーマンの声が肩越しで聞こえた。 梅雨前に、手探りで観念を仕草に解体し、行為を確認しながら、事後の経緯を再び観念で縛り上げるといった計画を実行することができた。結果、当初想い描いていた小さな蛍の光のような形は提灯の灯りほどに膨れたが、その輪郭はまだ暮夜けている。通勤の地下鉄や買い物の帰り道で浮かんだ「路眼」(ろがん)という括りが、どうやら、自分の幼少から抱えていた「当惑」に重なり、然し、この当惑への気概という、時間を超えて果てしなく延長される奇妙な精神の傾向自体が、おそらく「私」を説明することになる。傍観の感触で捉まえた。 裸眼という言葉の響きが、りがん(離眼)ーるがん(流眼)ーれがん(列眼)ー「ろがん」と、ラ行を転がって停止した。果たして、この観念は、普遍性を持ち得るかどうかわからないけれども、ふと気づくようなものとして、意識に広がるような期待はある。 昨今「あさましい」と感じる大人の仕草ばかり目について、こちらも歳だと我に返ればそれで終わるが、まだ青年の頃、そういえばこの「あさましさ」の排除を、日々骨に染み込ませていたと憶いだした。あの頃、優秀な人間の顕われに出会う度に、なんとまあ「謙虚」で、「抑制」されているかばかりを、そこに見いだすことが、こちらの目的のようでもあった。今考えればこれは単純な差異の問題であり、時代の傾向もあった。謙虚で控え目にと教条化するオチは、現在でも至る所に転がっているが機能していない。固有な「欲望の質」が、機能することを、徹底して解析し、その徒労を展開する以外に無いのではないか。だが、この徒労が「あさましい」とやりきれない。眼を剥いて注視する事自体「あさましい」行為ではある。 |