この季節、幾度も繰り返し夢の中や、歩行の最中の振り返って見下ろした自身の影に、静物画のように停止した静止画像がワナワナぶるぶると震える幻視が現れて、その度に視力の萎えた瞼を押さえ込むように手の甲でごしごしと擦り、人差し指の背で目玉を揉んでいた。
重ねて、遠い過去の捏造した物語が克明に映像として語られる夢の中で、会ったこともない饒舌な友人と、こちらのきちんと片付いた独り住まいで酒を酌み交わしていた。友人の差し出した好きな女の写真は、まるで老人が数十年の間、懐で大切に仕舞い込んだように古ぼけており、突然現れた客の姿の、これも見たこともない男が、私のファイルを捲って、
「君はへたくそだなあ」
と示した作品は、すべてセメントの棺であり、つくった覚えも無い筈の私は、懸命に説明をしている情けない情景が、これも時々停止した静物画のように移ろいを失った。
久しぶりに会う人が変わらずに旺盛で健やかであり、その照応としてこちらはどちらかというと萎えている自覚が増すことが、これも年齢を重ねることだと振り払うより抱き寄せるようになったと、桜の花びらの落ちる中ぼうと考えていた。
ぶるぶるとわなわなと震える静止画像は、どうも女性のようであり、それが一体誰なのか判然としない。こちらは無人の街に眼差しを向ける傾向があるので、この「判然としない女性」へ眼差しを向ける為の手法を考えることを、どこかの誰かが促しているような気もするのだった。
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