何も変わっていない

26年前の1982年の冬、私は鬱だった。前年の12月から3月までの冬の間、八王子の椚田という京王線、山田駅から坂を下り、北野街道の南側に流れる小さな川沿いのアパートの2階のワンルームに籠って本を捲り、読むものがなくなると古本屋まで出かけて手当り次第に手提げに入れてまた部屋に戻ることを繰り返していた。アパートの前には魚屋があって、近くにコンビニ等なかったと記憶している。春になってようやく大学の友人と会い、俺は悟ったなどと呟いていた。
たいして生きていなかったくせに少し前の過去を「捏造の日々」と嫌悪し、自分を捜すというよりも、できるだけ自ら離れるような自虐を愛すようになっていた。読書はだから身を捨てる行為に近かった。御陰で世界が眺めの塊となって隕石の落下のごとく身の回りに落ち続けるので、幽体離脱し、燻るそれぞれのクレーターに近寄るだけで世界の痕跡に同化できた。今思うとあの時の同化の力には、狂気じみた勢いがあった。
あの頃の無謀を振り返りたいのではない。あの時に経験しはじめた眺めの質がいつの間にか骨のあたりに原爆の影のように刻印され現在迄それが作用している。年齢を重ねて、老いつつある体から逃避して再び幽体離脱し、他者へ身を投じようというのでは勿論ないが、世界そのものの力を畏怖しつくづく途方に暮れる眺めというものは、実は私そのものであり、肉体でもあって、人間性の傾向という普遍と違った、あるいは行動のカテゴリアルなある種でもない、非常に固有な知覚かもしれないということだ。そう考えないと、つまり選択する力の生まれる根拠が見当たらないし、この選択の力は成熟している実感がある。
1993年にも同じような鬱が訪れている。ポジフィルムをルーペで眺めてはカメラを持って出歩くことを恢復歩行と呼んだことも、自らが病にあったことを示している。