1960年にカラーテレビが発売されたから、TVが家庭に均等に配置されたのが、1960年代後半と考えてよろしいとすると、それまでとそれ以後で、人間の精神形成の決定的な変化があったと考えられる。一方的な情報の提供を無意識的に享受する「テレビ以降」の人間は、日々共有する情報で生存域を拡張し、立場の差異(出自・系譜)を解消したとも云える。高度成長がこれに率直にリンクする。
「テレビ以前」の人間には、玉音放送で知られるラジオという情報デバイスがあったが、情報量として充分なものではなかったし、均一に拡張されたメディアではなかった。つまり、情報は奪取する意志において獲得するものであり、その立場にある者は限られており、無関心であり続けることも可能だった。社会も戦後の混沌期であり、均一ではなく、出鱈目も横行しただろうし、この「テレビ黎明期」は、世界的にみても、言語学的にみても、戦争よりも著しい変化の境界となって、それ以前とその後の社会を決定的に異なるものにしたと考えていい。
ーフランス語のTelevision(テレヴィジョン)、TVに由来し、teleは「遠く離れた」visionが「視界」の意味である。ーwiki
「テレビ以降」の高度成長期を、「テレビの出現」の驚きを持って過ごした世代と、私を含めた「テレビのある家庭」が当たり前の世代が、ほんの数年の出生範囲で居て、所謂昨今社会離脱の件でもてはやされる団塊の世代には、どちらかというと、そうした驚きの残滓があったように思われる。つまり彼らは、「テレビ以前」の差異に満ちた、闇が横にある世界を舐めた記憶のある最後の世代であり、以降の楽天的な安易な共有感覚と共に、彼らにははなにか秘密めいて孤立するしかない差異世界を覗いた感覚をも抱き続けていたと云えるのではないか。
こちらにしてみれば、団塊の世代が学生運動に走る姿自体滑稽であったし、アメリカに翻弄されるサブカルチャーそのものも、テレビ番組の中にインストールされたコンテンツとして薄っぺらに眺めていた。ただし、当時の大人社会はまだ黒々とたっぷりとした闇をたたえていた。
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