円卓という空間

骨格(ツールとしての時空)
卓上に集う人は無作為であり、一切の文脈(言語、生活、世代)の共通項がない。ゆえに其処に集う意味があらかじめ用意されていない。自己紹介をはじめる者もいれば、自分は何故こんな場所に居合わせているのか訝しく黙り込む者もいる。
ふいに薄暗い空間の円卓に映像が音響を伴って現れるが、それは映画のような物語ではなく、かぎりなく断片的な静止画像であったり、短い脈絡無い映像であったりする。時には、集った者の中に、映し出された映像に関係を見いだした者が居て、その空間に居合わせた人々に向かって、映像の説明を喋りはじめたりする。興味の無い人は、黙って彼の話と関連する映像の終了するのを待つ。あるいは席を立つ。映像と音響が消え、円卓に酒のはいったグラスが運ばれ、人々は任意にそれを手にすることができる。集い座した人々の中にカップルやグループといったマイノリティーが居る場合があり、彼ら同士で囁き始めるが、集う人々の囁きは集音され、遅延して空間に響き渡るように拡声されるので、その場の人々にはくっきり聴こえる。再び映像が円卓に映り出される。やがて映像はパーソナルな肖像になり、その映し出された人々は自ら話し始める。更に円卓に座った人々自体のクローズアップが遅延した映像として円卓に挿入される。映し出されたモノが数分前の自身と知った者は、時には不愉快になり席を立ち、別の参加者がその席に座る。延々と酒を飲み続ける者も居るが、乱れた自身が同じように円卓に映し出されると、グラスを置き席を立つこともある。
映像は時々途切れ、あたりは静まりかえり、しかしまた、円卓に顕われる。
口論が起きた場合は、SPが当事者を強制的に退出させるが、恋の芽生えや誘惑はよろし。
Visual Echo Bar Planning