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たとえばドイツ人は、いまのドイツの憲法は占領軍によって押しつけられたとはけっしていわないでしょう。なぜかというと、そういう論理を第一次大戦後に使ったことがあり、その結果、何が起こったかを知っているからです。それに比べて、日本人は初体験だから、もしかすると、もう一度失敗しないといけないのかもしれない。だから、最初に述べた話に戻っていうと、私は湾岸戦争以後、日本は近いうちに憲法九条を放棄して戦争に参加するだろうと予想していました。ただ、その結果痛い目にあって、戦後60年にあたる2005年にはあらためて戦後の憲法九条の意義を確認するということになるのではないか、と。そういう「自然の狡知」を考えていたのですが、実際にはそうならなかった。
しかし、それが先延ばしになり今後に悲惨なことがおこるとしても、結局、憲法九条を確認する時期は必ず来ると思います。そして私はアメリカでも、ベトナム戦争後にアメリカ人がもった「超自我」が戻ってくると思います。その時点では、アメリカ人は世界最初の核戦争にかんして、自分たちが広島、長崎に行ったことに対しても反省すると思います。そして、その時にこそ、国家の主権の放棄ということが起こると思うのです。そのような歴史の見直しが必ずそう遠くない未来にあると思います。ー
近代文学の終わり/第二部国家と歴史/歴史の反復について/柄谷行人より抜粋
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