冬のせせらぎ

坂を下る途中の道路脇にある気温計が-2℃を示しており標高が数百メートルさがった陽射しは暖かく感じるのだったけれども、標高300メートル前後の市街地では昼過ぎから雲が覆い青空は消えて徐々に寒くなり風も出てきたので、標高千メートルは凍っていくだろう。

伯母の診察の日は父親のあとをついでわたしが連れていくことになった。月に一度だがこの季節の夕刻の予約時間は、肺が冒されている伯母にとっては致命的な風邪に気をつけなければならない。4WDの助手席は座席が高く躯の不自由な伯母には乗り降りが大変だからその度に父親の車に乗り換えて送迎していたが、前回乗り換える時間がなかったので仕方なく高い座席に促すと、よっこいしょと伯母はそれほど文句も言わずに乗り込んで同じように降りることができたので4WDにて送迎する。病院の入口で車椅子を借りて受付にて予約カードを提出し携帯用酸素ボンベが空なのでその旨を伝え別室の緊急措置室にあるリクライニングで酸素補給しながら診察を待つ流れを看護士の方にお願いしてから、停車していた車を駐車場に入れ再び戻って伯母の様子を見てから待合室でうとうとする。外来の患者の名前を呼ぶ女性の看護士の声に都度起こされたが幾度めかの声に艶かしいものを感じ凝っとその女性の仕草をみつめていた。いかがわしいストーカーのような表情をあからさまに曝していたのかもしれない。一度その女性と視線が交錯し、向こうが切り捨てるようにその結び目を解いた。じつによく動き回る働く女性だったが白い白衣は時にピンポイントでこちらのどこかに突き刺さる。おそらく既婚の成熟がひとつ落ち着いた歩みや仕草、軀の線に現れていた。夕方5時の予約時間だったが終了したのは7時すぎだった。肺の細胞崩壊を止めるステロイドの薬とこの薬で予想される胃の炎症を抑えるカプセルを担当医師から試してみましょうと処方して貰い病院に隣接する薬局で薬を購入し伯母を家まで送る。こんな歳まで生きちゃってみなさんに迷惑ばっかりかけててと愚痴る伯母を宥めつつ伯母の家の居間にあったカレンダーに次の予約診察日の丸を記す。ちょっと心配なのでと月に一度の診察を薬の効き目を確かめる意味もあり二週間後にはきてくださいと医師よりいわれた。

数年前に父親の誕生日にそれまで使っていたものの調子が悪いと零したので贈ったBRAUNの髭剃りは最期まで病室に置いてあった。使う人間が消えた実家の洗面台から持って行けと受け取り、普段は泡立てた顎にカミソリを当てる習慣しかないが使ってみると鏡など眺めずに過ごして伸ばし放題だった白いものの混じった髭があっさり消えたように剃れるのだった。こんなまだ新しいのよ。母親が畳んで重ねた父親のセーターやシャツの類いを、ひとつひとつこれはまだ着なさいと大きな袋に詰めて受け取り、その上にBRAUNの箱を重ねて車に積み、炊いちゃったから持っていって夕食の足しにしなさいとサランラップでまとめた白米とサバの味噌煮を袋に入れ山へと走り戻る。標高が千メートルを越えると闇に照らし出されるのは凍りついた白銀の別世界でギアをセカンドに落して坂道を下る。ガレージの外に積もった雪は粉雪で箒で履けばどこかに飛んでいく。