素描

指先に簡単な道具を与えて、極めて原始的な行為である素描を行うと、時間を忘れ、描かれて現われる線やトーンの集積にひきつけられる。その素描がおこなわれている画面には、数十年も前の拙い自身の記憶が現われることもあり、未知の形象が突然姿を顕わすこともある。素描はそういったことを目的に行っているわけではなかった。肉体の本来的な機能である快楽に根拠がある。真っ白な画面に指先は線を与え、知覚はその線を一瞬遅延認識して、目玉の動きと観念的な束縛を解かれた意識がひたすらな時間を楽しむ。だから他の素描作品を眺める時、何がどのように描かれているかといったことよりも、私は、その素描と共にあったはずの人間の、大らかな海のような運動、精神の自由に溜め息をつく。