絵画

今世紀の人間の意識の流れを端的に眺めるには、書物を捲るより絵画をみるほうが早い。さまざまな状況下において作家は絵画という視覚表現を行って、その絵画自体が彼の置かれた立場や文脈、系譜、社会的環境や当時の流行した思想などを画面に顕わすからだ。絵画はそういう時代や歴史的な記録の目的で制作されるわけではないが、言葉や音などによる表現と併置される、独立した固有の、世界との関わりに仕方であり、人間の知的な営為のひとつだ。絵画作品が作家の存命を超えて可能な限り存在し我々はそれを美術館などで観ることができる。だがこうした作品は博物的な意味合いと骨董的な慎重さで眺められる。制作のメソッドをその画面から検証することもある。目の眩むような価値を与えられ、資産を温存するために売買される。いずれにしてもいかにも人間が考えそうな狡猾な作品利用で、それはそれで面白い。作家も作品で生活を全うしなければいけない切迫した事情に諦めて、つまらない景色を繰り返し描くこともある。売れなくてもよいのだと前衛を気取って大袈裟なガラクタばかり繰り返す場合もある。だがどうであれ、絵画は制作され、それはまた深々とした時間の懐で眺められる。例えば虚空を仰ぐように白い気分で何気なく書斎にある愛嘔の版画を眺める。その隣にあるエッシャーの小さい版画を眺める。すると心持ちが静まって安定する。そうした日々の精神が絵画の恩恵であり、また自身を制作へと促す切っ掛けともなる。