時間

時計の針の動きがそのまま時間そのものであると実感する緊張はあるだろう。だが実際は時間そのものでないと思っている。時間を指し示す一つの基準にすぎない。時計や時刻は時間の一面を拝借した便利な当て擦りなのだ。我々は時間の塊ともいえるモノや現象を経験することがある。それは石ころであり、地層の模様であり、波打ち際で震える海であり、またあるいは、想いを伝えられない苛立ちのココロがそっくり狼狽えるような時間と感じる。時間は進行して停止することはないとされるけれども、鉱物の構造には堆積と変性の折り重なった結果が停止している。時間はイメージともなるわけだ。人間の身体感覚をはるかに越えた巨大な地球の自転や、月の影響などで震える海の動きが、海岸の波の形に現われ、そういった時間の流れに身を委ねる。時間恋愛小説などの印象的な光景は反復に耐える時間が構築されている。幾度も高鳴る胸で嗚咽する。ふとした切っ掛けが過去を呼び起こし、あの時を憶い出し現在とこれからを想起する。時間はクオーツで正確に刻まれるようなものとしてより、我々にとっては事物そのものといった印象としての意味合いが強い。高等学校に進学するとお祝いに腕時計を贈られる慣習があった。あの時も時間を道具として使わねばならないという大人への成長を加担するアイテムを手にしたというより、結晶のようなガラスカットのデザインが重たかったという腕時計が直接身体に与えた感覚のほうが勝って、時刻通りに執り行うなどという利便性などに感心した覚えはない。