生活の観測

遅々とした歩みだとつくづく考えた。

1981年に神奈川県民ギャラリーホールで行ったDysprosiumという展覧会を幾度も憶いだしていた。related >>
朝走ることが見つめを育て、眺めていることが「其処」であることゆえに、手法の「其処と私」を考えることになり、これもまたつくづく考えた。
浅薄な考えではあるが、生活の観測であるということが、辛うじて「取り付く島」となり、そんな儚さを乱心のようなものとして舌を出しながら抱き寄せる季節もあった。

個的な我論である「エゴ」との決裂、削除は簡単ではないし、恣意との駆け引きも同様で、如何に切り詰めても、そうした意思が恣意となる矛盾をだが、戒める若さも無いと、諦めるのではなく、自然(じねん)の成立へ結ぼうと足掻くでもなかったのだが、ここにきて「観測」という言葉に救われたようだ。この言葉の促す道筋はどこか脇に無垢が転がっているような気がする。

出会い言葉を交わすヒトも、河原や海岸で探し当てた鉱物のように輝いて、大きく呼気を吐き代謝を深めるとき、それぞれの若きも同世代も近親も成熟者も、平等に顔が浮かんだ。
では、どうなるのかもわからない、放りの果てのような気分を、メビウスのような継続へ走ることで、変容の果てが「舞い戻り」のような結句となったとしても、1981年であったとしても、それはよいと、考えるのではなく思うのだった。

日頃着古した衣服を、棄てた筈のようなものも含め、取り出して身にまとい、衒いの失せた年齢の表情で観測へ向かうことが、わたしの今であり、それを愛おしく思えるのは、ひとつの幸せにちがいない。