湖の底

あれこれ本を読むのは、こちらの主体の立ち上がりを確認しながら促すためだろうと思う。情報を受け取りながら、その受ける器を形成、構築しなければならない。だから、何も了解できずに、その器が壊れることもある。今頃になって、先週ヒステリックに破って捨てた画集がおしくなった。
 生活をたてる。暮らしを行う。某に寄り添って細く長く続くのだ。これが自分の生だと、切迫しながら呆然としている妙な感覚に、しかし慣れるとはおかしなものだ。殊更に生きるということが、生であるとは限らない。
 歩きながら上を眺めると、此処は様々な表情を豊かに持つ空と雲があった。視線の端にある低い建造物も、いつかなくなるような儚さがある。丘に登って見渡すと、なるほど、湖の底にあるような街だ。