ウイスキー

難聴なのかな。症状を自覚せずにちょっとした物音が物足りないと思う程になるまで、そのために購入したヘッドホーンを離さず標準のレベルを遥かに越えた音量で「聴く」ことに埋没する日々を送っている。音がぼくに何らかの新しいイメージの変容を促している実感があった。
 音像という定義があって、音のイメージを構築したり解体したりできるハードは、簡単に手にはいる。多少映像を洗ってみると、確かに音によって蘇るような表現がいくつかあった。CDを古いものをひっぱりだしてエフェクトを与え、音質や音響を新たに付け加えてその変化を楽しむのは、ぼくだけに限った特殊な行為ではなく、現代的な月並みな愉しみとなっているのだろう。ソフトをパーソナルなものへと改良できる周辺機器は充実している。ともかく、音を扱う作家たちの思想といえば大袈裟だろうか、指先の鍛練を垣間見る、覗くように耳に頼る極端な1ヶ月を過ごした。
 そもそも、風邪を甘くみて、一度治ったと勝手に決めたのが悪かった。別のウイルスにやられて、内臓と関節の痛みだけのものが、呼吸器へ移り悪化した。妻になんでこんなに過ごし易い季節に風邪をこじらせるのかわからないといわれ、閉じこもった書斎の窓を大きく開けられると、色付きはじめた植物の葉が眩しいようにかんじた。病院にいくほどのこともなかった。薬が手元にないのを我慢の根拠にして、数日を過ごして、こりゃあだめだと薬を飲んだらリンパ系だけが効き過ぎたようになって、更にばらばらになった躰を壊れた機械のように放った。酒を飲むと、気持ちよく身体に回り、それは謙虚に飲んで素直に眠った。次の日、一日中嘔吐に悩まされた。そして、日をおかず今難聴なのかな。症状を自覚せずにちょっとした物音が物足りないと思う程になるまで、そのために購入したヘッドホーンを離さず標準のレベルを遥かに越えた音量で「聴く」ことに埋没する日々を送っている。音がぼくに何らかの新しいイメージの変容を促している実感があった。
 音像という定義があって、音のイメージを構築したり解体したりできるハードは、簡単に手にはいる。多少映像を洗ってみると、確かに音によって蘇るような表現がいくつかあった。CDを古いものをひっぱりだしてエフェクトを与え、音質や音響を新たに付け加えてその変化を楽しむのは、ぼくだけに限った特殊な行為ではなく、現代的な月並みな愉しみとなっているのだろう。ソフトをパーソナルなものへと改良できる周辺機器は充実している。ともかく、音を扱う作家たちの思想といえば大袈裟だろうか、指先の鍛練を垣間見る、覗くように耳に頼る極端な1ヶ月を過ごした。
 そもそも、風邪を甘くみて、一度治ったと勝手に決めたのが悪かった。別のウイルスにやられて、内臓と関節の痛みだけのものが、呼吸器へ移り悪化した。妻になんでこんなに過ごし易い季節に風邪をこじらせるのかわからないといわれ、閉じこもった書斎の窓を大きく開けられると、色付きはじめた植物の葉が眩しいようにかんじた。病院にいくほどのこともなかった。薬が手元にないのを我慢の根拠にして、数日を過ごして、こりゃあだめだと薬を飲んだらリンパ系だけが効き過ぎたようになって、更にばらばらになった躰を壊れた機械のように放った。酒を飲むと、気持ちよく身体に回り、それは謙虚に飲んで素直に眠った。次の日、一日中嘔吐に悩まされた。そして、日をおかず今ウイスキーを飲んでいるを飲んでいる