どうでもいいことは簡単に言葉に置き換えることができる。
何がきっかけだったか。
母親は滾々と話し続け、私は聴き続けていた。
厄介になったのよ。丁度、戦地から帰って来る人がいて、それまで下宿させてもらっていたところから出なければいけなくなった。
その時に、結婚したばかりのあの人が家に来いといってくれた。
聞けば歳はそうかわらない。ここで、似た年頃の妬みや愛情の見栄のようなものがよじれて顔を出した。
叔父の葬式に独りでぶらりと受付に立った老女には見覚えがあった。
母親はひとり血液型がA型で、自ら宣言するように、トップダウンの采配を振るい、そんな剣幕にも慌てずに言葉の通じない野犬のようにぷらぷら遠い向こうを眺めている父親に、私は似ていると何度も思った。
あなたの家系は耄碌するんだからと、なにかと五月蝿い母親の小言に、父親が平気な様子で時には舌を出す。同じように五月蝿い姉たちに指図された幼少を敏捷に逃げ回っていたスキルを自然に身につけた末っ子の力量でのさらりと受け流す技を、これまた同じように姉だった母親の下で指を指されて、おいお前と、呼びすてにされた叔父たちの父親に向ける尊敬の眼差しが、いっとき可笑しさをこちらに与えたものだ。
考えてみれば、両親の歩んだ人生など、こちらと何の関係も無いと、いつも何度も思っていた。
現在の不具合を検証して、間違いを正すような生き方をしようとすると、だが、その無関係だった筈の上流に流れるような血の文脈が、細く支流となってこちらに流れてくる。
やはりまた、ここでひとつの意匠としての「中上健次」を考えるのだった。
「力は金だ」と食い下がる、それなりに苛烈な人生を送ってきたはずだろう老人たちも生きている中で、彼らに尋ねたいことは沢山あるなと思う。あなたは正しかったか。
時間と雨によって日々旺盛な草を毟る反復の仕草と同じ甲斐性で金を貯め、残りの日々を数えることがどれほどの喜びなのかと。
蓄えを都度切り崩し、息子や娘に注いできたふたりの男女の愛情に、応えるべきと考えるより先に、ごくごく自然な成り行き、当たり前の世界の広がりとして、このふたりを今度は、これまで育てた子供以上に面倒をみなければいけないとつくづく思うのだ。雨上がりだ。
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