葉の落ちた森の街 (街ではないか。共棲地ともなんだか違う) を列車から、枝の隙間から露になった点在する家々や地形のかたちを眺めて通り過ぎていた。
峠の暗いトンネルを抜け、途端に季節が二ヶ月程早送りされた潤いの潜んだ色彩と、数十分前の景色が全く繋がらない。列島の地勢は、それほどの差異を東西に与えている。これに人間が照応するのは当たり前とおもった。幾度か車窓からシャッターを押していた。
近くの公園が潰され、何か建設される工事が始まっていた埠頭のオフィスにて荷を解き、ともなう業務インターフェイスなどの再設定などの雑務に深夜前まで何も考えずに手だけ動かしてから数時間眠り、朝方起き上がってぼんやりとして、葉の落ちた森や林の向こう側へ眺めやっているような目付きとなった。
場所を良く知る人は繰り返される季節に慣れて、葉に覆われる季節の、いわば不透明な林と森の中、集って激しくはないけれどもゆっくり行き交い、葉が落ちてむしろ透明性が現前した冬には、家を空にし、あるいは家の中の暖炉の前から動かないことにも、変哲を思わないだろうが、通過者あるいは観測のこちらとしては、そういった人の姿を、不透明な透明性というなにか少し滑稽で美しい共有地の有り様だと、考えるわけでもなく思っていた。不透明な透明性こそがゆったりと再生する場所のなんともぴったりする印象だと、ひとりふたりと、疲弊から恢復を祈る人の姿が見えはじめる。
選別したものをそれなりに出力する作業準備をしながら、それよりも向こうに見える繁みを歩く算段へ心を動かされている。
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