Jean-Marc Bustamante (1952~)


私の作品は一見してすぐに理解されるというものではありません。まったく糸口はつかめないし、どうにもあやふやなのです。華々しいわけでもなければ、情感をあらわにしているわけでもない。確かなことは、人を苛立たせるかもしれないということです。
作品と観客とのあいだで交わされる対話は独特なもので、興味をそそられます。作品は自分を守ろうとして、分析されることを拒むのです。作品の前を通りすぎようとする観客を阻むものはないし、立ち止まることを邪魔するものもありません。私の作品など目もくれず通りすぎることもできる一方で、私の作品が人目を惹きつけるということもない。作品そのもののうちにこうした矛盾が潜んでいるという状態が気に入っていて、この矛盾がけっして解決されない時にこそ、芸術に触れているという感覚が湧き上がってくるのです。
作品のなかには、たぶん私の人生に不可欠な何かが含まれています。自分で解決できる問題ではないのですが、作品のなかであれば明確に表現できるのです。
ジャン=マルク・ビュスタモント Private Crossing 山口県立美術館 より抜粋

体質といっていいのかわからない。常々メソド同調(共感ではない)を感じる故に、Bustamanteの作品を眺める。
同調のはっきりした理由は、写真とガラスということであり、勿論写真に関しては、態度も意識も大きな差異がある。作家の撮影する写真自体は、個人的にはむしろ遠ざけたい部類に入るかもしれない。ただ、どちらも「反射」「透過」「水平面」といった無機的なサーフェイスを、やや離れて扱う手つきのようなものにシンクロするのだろうと、勝手に解釈している。
ガラスに関して、Bustamanteとは異なったアプローチで、設計をはじめながら、再び幾度も彼の作品を眺める。
Richterの絵画と写真との振幅よりも、Bustamanteの物質的な振動のほうが、やはりカラダの感覚に伝わるものが強い。