星座から

 三年前「静的な水」と副題を与えた水彩作品の制作時、万年を越えて静的な発光を示す星座を、口を開けたまま眺めては取組んだ、図的には平面的形態の、結ばれた点(恒星)の、気の遠くなる「差異在る奥行き」から齎される観測における僅かな歪みという含みが、こちらには継続して記憶化される手前に残り続けている。多面体への関心と、三点から形成するポリゴンによる情報(認知)形成という時代の流れもあった。動的情報の蔓延する騒々しさの中、静的な観測の思索(制作)が、現在の私の立ち位置となっている。

 米や果物の栽培収穫のように成果を前倒しにする仕草とは全く逆の、気象に惑わされつつ遡行と恢復を求める闇雲な浅薄を孕む手探りで、星座残滓から促されるある種の清潔さ(幾何)に、唐突に憶いだされた秋川渓谷が、半年転がし続けた住空間構造設計と重なり、迷いもしない奔放な筆を、やや拡大した画面にて使い始めていた。筆(*鞭)を持てなかった時間への反動も加わった自覚がある。
*路傍をすすむ時に手にして振り回す枝のようなもの。
 
 この画面には「星座に促された、虎の子落としと四つの部屋」とタイトルを与えることになるか。青年の頃、渓谷の清流で偶然みつけた滝壺に飛び降りる遊びに夢中になり、命名などして肝試しのような怖さのある高さから、然程深くはない流れへと落下することを繰り返していた。一過的な青い時間にすぎなかったけれども、以降磯と河潜りなど好み、南木曽阿寺渓谷では、十五年以上の時を跨いだ四十手間に同じ落下を愉しんで、自身頭頂の禿に気づいた。

 距離を置いて暮らす家族となって二十年となり、今となっては一つの箱の中では共に過ごすことなど不可能と感じられる私にとって、昨年長々と共有空間を設計する時間が、様々な念いを重ねて巡らせる契機となり、寓話的な意匠にて四人の家族の其々の部屋が、渓流の上に双子座の形で位置するという事象思索と成った。