何かしらの期限によってであったり、途方に暮れて諦めたり、様々に生じた因によって、筆の関与継続が停止した画面は、あからさまな未完を誇りつつ、その存在自体がこちらにみつめることをはじめさせる。固より確定的なビジョンを抱かない。事象を並べるという些末な併置に関心あるので、事後的な責任を都度負えないと自覚して、更に狡猾なネゴシエート(帳尻)を棄てる。時間の経過によって、こうした画面が累々と重なり並ぶ空間で、みつめることがくよくよとエイジングされる。やがてきっぱりとした老害風味の諦めの加筆一太刀であれば区切りもよさそうだが、痒いところに手が届かなかったぽっかりと穴があいただけの初動のみつめが変容し、そこまでするかと独りごちつつ、浅ましいと離れていた姑息な作業をはじめたりする。
生乾きの画面が硬化し、威勢のよかった初動の痕跡は、エイジングされた凝視の加筆によって、時に新たな皮膜で部分的に覆われ(過程を隠すことはない)、整形を与えるけれども、加筆という時間を跨ぐ仕草は、いつでも可能というわけではないので、その時が来るまでのんびりと凝視を老化継続させるより他はない。画面毎に異なった併置事象の展開があり、その順序も互い違いなので、展開の道筋の差異によって、あたらしい気づきが生まれることもある。
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