夢の発酵、あるいは記憶の成就

 移りゆく時間と喪失の中に横たわる「見えつづけるもの」は、共有される記憶の成就でもあり、それは夢を発酵させて海馬を巡り、新たな「残るイコン」となるエポックへ結ばれる。
 事象に引き寄せられる「性」を思いながら列車の中から、移動の横でも、そこに残りつづける特異な現れの意味に頷くような時が繰り返されていた。
 特異で固有な知覚経験はブラックボックスに封じられたままだが、そのレセプターを突き抜けた形骸として残ったオブジェは、どのような経緯の性格のものであっても、荒野に曝されつづけるという共有のイコンとなる。テクノロジーの果てで排出された他人の夢の残滓であっても、再び、更にまたと、目の前に見えつづけることで、都度新しく暗い箱を通り抜ける。
 語りつづける人の表情の記録を継続して、まるで何度も、その魂の幾層にも重なったオブラートのようなものが、はげ落ちるような表情の変化が、言葉の吐き出される吐述のような、彼の過去への辿りの探索の探りの巡りに反応するように変化し、とうとう魂が表出する時があり、なるほどとそれを見ていた。
 故に何を目の前に並べて見つづけるのかということになる。行動はその併置に従うというわけだ。