071522

 最近は気温差が十度近く異なる市街地に降りた際に日刊紙数社分を買うことが時折あり、山に戻って気圧が緩み菓子袋のようにパンと膨れる脳内血管で蘇る覚醒感覚を取り戻してから、信濃毎日新聞二面右下の俳人土肥あき子さんの「けさの一句」にて、目元を清明にするのが心地いい。
 唐突な契機が一ヶ月前に訪れ、母親が施設入所中で無人の実家を、世代交代する家族への遺産的な意味合いを含めた改築を行うことを家族で決め、その設計をはじめて三週間は経ったか。日々他の作業も少なくない中で、それでもサギングアイ再発の疑懼を見えるところに置いた時間を注いで、初動は予算や建設事情の素人風情で欲望の赴くままに構想を膨らませてから、設計担当者と直に会ってやり取りすると、最初の自由構想を半分に縮小せねばならないと判り、幾度も考え方を変えては、事情折衝が落ち着きそうな所迄なんとか運べたと、私は現在勝手に考えているが、おそらく更に幾度かの改変を余儀なくされるだろう。
 同時にこの夏で築16年となる(築5年の中古物件として購入)山の住処が、今年初頭の大雪や経年疲労で各所が壊れ、その修復を行わねばならない時となり、この案件は別へ担当をお願いして、詳細設計を実家改築と平行して考えていると、そもそも、ヴィトゲンシュタインのペントミノと事象象徴を転がして数年になる、「ヴィトゲンシュタインの建築」から汲み出した、「思想家の時空修正」からの、私の引用作品制作が、そのまま現時点での事象とそっくり重なり、加えてモリヤくんからの10×10(テンバイテン)という季節課題の、オイルペインティングタブローとしては初めて取組む極小スケールの平面構築とも響き合う、奇妙な意識頓着の時空がひとつの塊となって目の前に形成されている。
 偶発的な出来事の重なりから渡された引導を、私自らにではなく、娘ら若い世代に届くように遺すには、いずれにしても手を抜く訳にはいかないということだ。これまでの人生で最高額の制作費を投入する作品として修復改築に愉しみつつ臨みたい。