平面への関わりに於いて、四十代手前まで、炭化ケイ素の粒子に固執し他を排除した時期があり、それなりの個人的な含蓄は現在でも指先から離れるものではないが、五十代半ばから本腰を入れて再開した平面の捉え方では、云うなれば言語記述の文体ならぬ色体への愉悦のようなものに委ねる風な自身を、やや離れた場所から面白く眺めるような具合となった。元来、克明明晰な写真撮影にて移ろう世界を、幾度も停止観測現像する日常が、嗜む関心を越えたレヴェルで、私には定着しているので、平面での作業に世界観測的描写を取り入れる余地はない。つまり、具象的な有様をトレースする「絵画」とは縁のない時間を過ごしてきており、おそらく今後もそれは変わらない。
素材の平面への定着の仕方、色体を含ませた行方を迷走する振舞いが、こちらの作業だが、近しい山を見上げる環境に埋もれる日々の眼差しが、山体形象を引用する、無邪気で「おとなしい」自らの印象の投入を平面への初動とする契機を一度ふっと得たのだった。はじまりがプレテクストであっても構わないという優柔不断は、謂わば粋った「洗練」よりも、自身に忠実な気がしたものだった。これは年齢によることかもしれない。青年らのオリジナルを粋った洗練は大いに結構なことだし、社会的なテーマや動機があっていい。私は個人的な成行きを全うしたいと考えるのみ。
こうした先の見えない対処となるので、イメージを完結させるという考え方を棄てている。迷走は疲れ果てるまで行われ、果てた後、大きい時間が挟まってから、むくむくと擡げる振舞いを重ねることもあり、行方の果てを追う平面の作業過程の頓着自体が歓びとなっている。
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