着古したTシャツ

 取り込んだ洗濯物をたたんで積み上げる。まだ陽射しのぬくもりが残っている。着古したTシャツや、靴下が丁寧に折り畳まれて仕舞われる。そういう手法に、あっと気づいて酔うようだった。
 哀切も、狂気も、矛盾も、アクシデントも、反射も、そうした洗濯物が仕舞われた空間でこそ、人間的であり現実的であるのかもしれない。何が一体どのように使い回され、使い込まれ、日常を形成している普段は見えないパラダイムを、再び襟元の草臥れたTシャツを何気なく着て自転車に乗るというように、構わずにいたって凡庸に広げることが、ひとつ倫理として肝心なのだろう。
 認識を都度あらためれば、繰り返される戒めの中に在って、わかっていることだが、ありふれているので、どこかに仕舞われてしまう。置き忘れてしまうようだから、見える場所に置かないと。