夕方になって、千駄ヶ谷の室内プールに次女を連れてでかける。迂闊に約束した事をむこうはきちんと覚えていて、ランドセルを部屋に置き、水着の用意を済ませてこちらの挙動をみつめる視線に逆らえなかった。朝には雨が降り、過ごすには快適だが、いざ裸でプールという日ではないと、二度ばかり、既に駅まで歩きはじめた道で、娘に風邪をひくぞなどと自宅に戻る仕草もみせたが、こちらより数歩前を歩くのだった。総武線に揺られると、水に浮かんでカラダを伸し、閉塞気味の思考を柔らげることを期待する気持ちが肌寒さに勝っていた。自らの重さという、重力から若干解放されると、ヒトは進化の過程で非常に長い時間水際で生きたことを頷かせる。水中に潜って吹き出し慌てて呼吸をするために飛び出す娘を眺めながら、水中で感覚機能が確かに回復、修復されるように感じる。平日にこのプールに通う人々はひたすらに泳ぐばかりの種類のようで、それがこちらにしても頗る心地よい眺めと映った。