まるくて、率直な優しさに触れると、それが単なるどうってことない説明でも、カラダの硬直がほぐれて癒されるものだ。鎧のような狡猾さを払おうとして逆に招き込むワタシも人間であることに今さらに気付くような感触。できることとできないことがあり、できないことに無理を重ねることは可笑しいと当たり前のことに頷いていた。不完全であることの正当性など、そういった仕草に確かめていたのはこちらのほうだった。吉増剛造氏や大江健三郎氏のやさしさに似ているけれど、存在を認めて讃えることが、人間であることを引きずって、カラダの重みのような暗闇をそこに思わず重ねてしまうこともある。だが、これも慌てることはない。ただ、そのまま、あるがままの姿勢でどこか壊れていることも隠さずに、この希有な優しさに触れたことを忘れずに過ごしたいと願う。Ikedaのprayerがやたら両腕の付け根のあたりに痺れるのだった。