「来るべき時代の映像表現に向けて」というタイトルには凡庸ゆえの力があって、真っすぐでよい。12,Dec.~29,Feb.2004 / ICC
諦めていたのに、本当に来るべき未知があるような気持ちになった。子どもたちは既に、映像や音楽、写真、コンピューターを、絵の具と筆のように自在に操りはじめているから、こういった展覧会はその顕われを受けとめる準備のようにも感じる。少なくとも商業的興行的な意味で縛られ、観客動員の為に策を選ばぬ手法の他にも、映像の可能性があることを感じる事ができればよい。ベンダースの云うように映像は、その果てには非常に個人的な「夢」の隣に横たわる種類なのかもしれないと、離れていた映像に近寄る契機を間近にして、最近何度か、光景のランダムなダウンロードの雨。これは所謂「夢」ではないけれども、反復して覚醒の元で辿りついていた。
マウスが突然壊れたので、同じものを購入。壊れたガスライターも同じものを奇跡的にみつけて購入。古びたモノと新品をふたつづつ並べると、その併置が、イコンのよう。