よいのか。
現在を批判的に問題点や不具合を炙り出すことに専心したまま死ぬわけにはいかない。
北大で教鞭をとりながら植物病理学を研究し、退官後北大附属植物園長をしてから、JICAでアルゼンチンに長期滞在し、遺伝子組み換え大豆と土壌病害の研究(PDF)を続けた叔父が、帰国してから北海道の自宅の庭の、丹精込めて育てた、隅々まで花咲く様子を、退職後本格的に取り組み始めた写真で見せてくれたことがあり、叔父のこれまでの生き方がそのまま形になったような庭の有り様が、記憶のどこかに、仕舞われずにひっそりと置かれたままになっていた。(image:上・紫サギゴケ咲く叔父宅庭 / 下・百合が原公園のムスカリ / 叔父撮影)
実家の東側には、木造の県営住宅があったが取り壊され、以後整地された後は空き地になったまま放られていたが、近隣の住人の提言もあり、市が道路を設置した公園として造成することになった。
行政はただ広い敷地を整地して、ベンチを置く程度を考えているらしいが、いっそのこと、近隣の住人が季節に応じて雑草を抜き、手間をかける樹々を植えて、鬱蒼とした林として、これまでの空虚な避難場所程度の公園の概念を変えてもらいたいものだと、老いた両親と夕食の後話していた。
危機的な現代においては、明確な未来のビジョンを示すことが、所謂クリエイターの役割ではないかと、生理的な作家たちを嫌ってきたこともあり、その流れの延長で、意識に残ったモノが意味をつくりだしていると云える。
よく考えてみれば、私有財産として土地を購入し住居をつくり、倹しい箱庭の手入れをする光景というものは、人類の歴史の中で俯瞰すると自閉発狂の時と見えないこともない。皆が暮らしたくなるよりよい環境を提案し、議論を尽くすことを積極的に行うことで、少子化や地域の経済的格差問題も、そのうねりに含まれて変容するに違いない。そうした行動が、おそらく次世代への唯一誇ることのできる遺産となる。
イデオローグであっても、センセーショナルであっても、我侭なアートなど馬鹿臭く思えてくる。
個人であれ、行政であれ、企業であれ、共和的なシステムへの展望とビジョンを持って実現へ移すことが、この世紀の核心となる。この国は出遅れている世界標準という概念もこれに含まれる。外の世界ではそろそろそうした意味での世代交代が眼にみえる形で行われているが。こちらも、明快にいきたいものだ。と、この年末年始は、この「明快」をめぐって、無い知恵を絞りあげるしかない。
ー狭い国に住んだ農民は、自分の田より下流の田にも水を流してやる為の気遣いが必要だ。環境と人間の関係が箱庭のように局限化しているので、一人の配慮不足が他人の不利益にすぐ直結する。だから、生産を継続する為には調和がはかられる。逆説的だが、密度の高い農業の方に、今日問われている持続可能な農業の素地が秘められているのではないか。アマゾン川ほど大きくなってしまうと、なんでもかんでも水に流してしまって平気の平左だ。環境問題とは行き着くところ、地球は有限であるという事実の認識でしかない。それをむしろ日常的に感ぜざるを得なかったのは、国土の狭い国だ。水俣病が顕在化したのも日本の国土が狭いからだ。もしも、シベリアのどこかで水銀を垂れ流す工場があっても、なんの痛みも感ずることなく終わっていたかもしれない。我々日本人は、世界で最も環境破壊の怖さを身を持って体験してきた国民であるはずだ。
だから、ここにおいて農業というものの本当の側面を我々は強く認識できるかもしれない。そもそも、農業には持続可能性という点で、環境との融和を図ろうとする努力が最終的なコストを考慮した時に本来的な要素として計算されなければならないということだ。
この点を置き去りにすると、現在の利益を享受しすぎるが余り、巨大なつけを積み重ねている日本の国の経済の姿のようなもになる。必ずや将来、自分達の先人の愚かさを呪う子孫が出てくるに違いないー
叔父の講演概略 / ポテトニュースジャパンより抜粋