fearless.jpgWitness (1985)のカメラとカッティングが印象的だったPeter Weir(1944~)作品から、Fearless(1993)を選んで観ると、制作時の年齢がこちらと重なることもあってか、作品の隅々迄行き渡る抑制の利いた配慮(カメラ・脚本・演出・キャスティング・ロケーション)に肯頷。クレジットロールを観ると、サウンドトラックが累々と並んだが、映像のほとんどはBGMレスで、均一な緊張が最後迄張りつめている。アメリカ映画でこうもBGMを消去したものは珍しい。(original soundtrack:Maurice Jarre)錚々たる顔ぶれの俳優(Benicio Del Toro,John Turturro,Rosie Perez,Tom Hulce…)に依るところが大きいが、演出が冴え渡っていて、余計(隠喩)を取り除いた意識が硬質に顕われている。「強さ」のパラドクス(強さ=病)が表沙汰になった湾岸戦争直後の作品であることを匂わせる。ただし、Witnessには滲んでいた空間の広がりが、多少観念的で、テーマとの連動(意図)かもしれないが、映像自体に閉塞感があった。
「あなた、大丈夫だった? ああ、よかった」と、死を免れた夫を出迎える妻の言葉が、裏の無い率直なものであるとわかっていても、これほどエゴイスティックに感じられるのは、この作品の功績。受け取る側は、様々な立場を行き来しなければならないが、そうすることで、眼差しに倫理の灯火が宿る。
Pattern Recognition (2008) 、Shadow Divers (2009)と大いに期待。

overview_m3_01.jpgM3でPCのデジタルストックされたさまざまなタイプの音を確認すると、この手のひらにずっしりと乗るスピーカーに注ぎ込まれた開発の成熟した知性に脱帽しつつ口を開けたまま呆然として、これまで聴こえなかった音響構築の配慮・意匠・レコーディングの時代差異等、くっきりと捉えたのだった。音自体の豊かさに驚く。コントラバスなどの楽器、オーケストラの再現が素晴らしい。全く違った楽曲を聴いている錯覚に陥る。デスクの中央に音像を描くには申し分ない。
CDというデジタルデータを、HDに圧縮して粗悪なイヤフォン+iPodで聴くという時代の流れが、音そのものの輪郭を省略語のようにコンパクトに変形し、小さくまとめて受け止める慣習というのはいかがなものかと、自らの日々を反省。CDからのダイレクト出力環境を併設しようかと考えていたところだった。
こうした環境の深化で、やり直せることはやり直さなければと。


VE-DVD修正データの移植を忘れ、garioにHDを持参してもらいデータ移植後、こちらは仕事をしつつ、God of War 2をノーマルで体験攻略依頼。一人でゲームをする気持ちがないが、システムとグラフィックは見てみたいという我侭。まあ、仕事にもヒントになる場合がある。トゥームレイダーと似た、R指定のお下劣な洋ゲーだが、ムズイっすと嘆きつつ、2/3ほどgarioは進めてくれた。時々画面を眺めながら、大人を対象としていませんと宣言している感じがおもちゃっぽくて良いと思う。その点、この国のゲームは、本気で大人をターゲットにしているところが、廃人人口を増加させる原因であるかも。プロダクションは、これまで儲けた環境で知恵を絞って、大人を対象にしたメディアエンターテイメントを、ゲームという枠組みでなく、例えば道具として開発していただきたいものだ。切り口はいくらでもあるだろうに。