megumikanda.jpg次女にと選んだ、グロリア/神田めぐみが届き、聴きながら、聴き入って、魅了される。トロンボーンおそろしや。素晴らしや。奏者の魂の塊を吹きかけられるような、聴く事がすべてを受け入れることだと悟るような、単なる音ではない、寛大で逞しい情愛が迸る母性が響きに宿っており、涙が溢れそうになり慌てる。娘にはこの楽器と音色を、生涯の友としてもらいたいと祈るような気持ちがはじめて浮かんだ。未知の異星人の言語を聴くような錯覚も生まれる。吐息楽器としては、トランペットやフルート、サックスよりも、実直で率直に人格が音に顕われるのかもしれない。楽曲にもよるけれども。呼吸音がクジラを想起させた。
数年ぶりに、諏訪から友人の個展を観に来たという黒沢氏より、今日本橋だが。という電話が唐突にあり、オフィスに立ち寄ってもらう。成熟が膿んで箍が外れ、際どい時間を、こちらは息を呑んで立ち尽くし見守るより身を潜めた時期があり、その後の経過を聞きながら平静の抑制を取り戻した姿にほっとしながら、やや、惜しいような気分もあった。ピアノのレッスンも継続しているとのこと。兄上が一昨年にお亡くなりになられた時、こちらも母親の手術等が重なり、詳細を知らなかったが、身内の死の様子を、現実的な眺めとして、「死は時間的な厚みがある」と教えてくれた。
lastdays.jpg最近は陶芸を教え、10/7.8には上諏訪、諏訪湖岸で開催される八ヶ岳クラフトフェアに出展するとのこと。例によって採石し陶土精製から手がける気の遠くなるような作陶手法は一貫して行っているようだ。食器が欲しいので、時間の調整ができれば足を運びたい。
互いに老いたような笑い話をして、休日の月島から晴海へgarioも一緒に妙な三人連れで歩き、晴海トリトンでこちらは濃いエスプレッソを腹に流して、豊洲まで足を伸ばし、ララポートのインドネシア料理をランチに摂り、月島で別れる。50歳に幸あれ。
やはりまた何度繰り返したかわからない鉱物と森と川の話が残り、トロンボーンの音色に重なり、みつめることと魂とを直結させる鍛錬はまだできる時間は残っていると、自身の肉体を励ます。
gentaより、last days/Gus Van Sant(1952~)のリコメンドあり。


以前、どこかの馬鹿が、ブログって公開されているから、あなたもいいことしか書かないでしょうと言われたことがあり、こいつは人生にはいいこととわるいことの2種類しかないと思っているのかと驚き、年齢的にもいい大人だったので、幼すぎる問いかけに更に呆れたが、答えず黙っていた。閲覧者が多く、文体も大勢多数の閲覧者に向けられる口調で綴られる所謂タレントものもあるが、例えばこの記述のような、単なる日々の記録の場合は、記述自体誰にも向けられていない。自身の記録として、決断や迷いや印象の過去を振り返り、自らのコンテクストを認識する効果を発揮するだけであり、こちらはそれで充分なのだが、この国の無知蒙昧なTV信仰に明け暮れ、集合の交わりと確定している共有感心事に熱弁を振るい、固有な成熟を放棄した輩は、公開という言葉に異常な恐怖心を抱き、中身の無い凡庸月並みなプラバイシーを殊更に隠すべきと強調する。隠す為に口を閉ざすということは言語を喪失することになると気づいていない。つまり、世界を一度身勝手に決めつけて死ぬ迄押し通す。成熟とはブランドで身を飾ることだと貧しい物欲に支配されたまま死ぬ。哀れなもんだ。周囲は疲れる。まあ、そういう人間は死ぬ迄変わらない。どうぞご勝手に。