1973.jpgGeneration X / Tales for an Accelerated Culture/Douglas Coupland(1961~)を意識したことはないが、こちらも気分的にはぎりぎりこの世代と云っていい。両親の職業柄、幼少から自分より年上の子供達が出入りする家庭であったので、兄妹だけで塩らしく遊ぶこともなく、会って間もない素性の知れない風な乱暴な兄貴たちに強引に連れられ、四季折々の山野へ連れ回されることを、むしろ好むようになり、あるいはまた、憧憬というものもそういった種類(血の繋がりの無い無責任所以爽快さがある)の年上の挙動や決断に向けられた。年下は勿論、同級には、羊のような弱さばかり目につき、興味が持てず冷淡であったかもしれない。今思えば、こちらを先導した年上とは、団塊の世代(*第二次世界大戦直後の日本において1947年から1949年(1952年、または1955年生まれまで含まれる場合もあり)にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代)であり、父親の終戦復員による、婚姻、出生で人口が膨れた、いわば高度成長の機動力となる戦後世代でありながら、色彩の異なる逆さまの時代を駆け抜けたような戦争体験を、両親の口から直接知ることができた最後の類的群れでもある。そしておそらく成熟期に、唐突に頭を殴られたような具合の、ある意味屈辱的なバブルを経験している。勿論学生運動の時期を肉体のどこかに刻んでいるだろうが、その体感は記述を辿るしかこちらにはできない。いずれにしろ、こちらは都度傷つく先導獣をやや離れて眺めるような特異な場所にいたということになる。
ー*wikiよりデータ引用
フォークソングブームが沸き起こり、我々中学生は挙ってギターを親に強請ってアルペジオとコードの弾き語りを練習したが、深夜ラジオというメディアが情報享受の全てだったことをもあり、ひとりふたりと密かに放課後に集って半田ゴテで火傷をしながら熱中したゲルマジウムラジオ工作が今となっては記憶として印象的であり、帰宅途中学生服の胸のポケットから取り出した数十本のボールペンひとつひとつの特徴を詳細に説明するオカダという友人が、同級でありながらそれまで憧憬を感じていた年上となぜか重なって、この頃こちらの特殊な状況(勇ましい世代ばかりでなくインスタントに生産されるモノに牽引される)を意識しはじめたようだ。
野球に明け暮れ天体望遠鏡を覗きこみ、衛星中継を見詰めたアポロ11号月面着陸の翌年、インスタントラーメンに驚きつつ、メーカーやプロダクションの成長と同期する近未来構想であった大阪万博の年に三島由紀夫が自決。中学生となった翌年には、南沙織の17才が流行り、進級する間際、連合赤軍のあさま山荘事件が起きる。オールナイトニッポンで、神田川、下ネタ三昧のあのねのねを聴いて高校受験の準備をしていた。
所謂60~70年代の義務教育の間に、孕んだ状況出会った設定が、現在のこちらのスタンスの傾きを面白い程的確に説明できることに気づき、記録を辿ることに暫し夢中になり、記憶というものはこういうことだったと視覚的に現在へ投影するリアリティーを得た。
反文学論で78年に柄谷が興味を示していた石原悟を検索するが、現在のデータはヒットせず。「坂の上の闇」/富岡多恵子を探すが、昭和文学全集〈29〉、富岡多恵子集〈3〉小説(2) はどちらも高価。富岡多恵子自選短篇集「新家族」にする。


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