子供の思いつき地味たタイムマシンを作りたいわけでもなく、「時間」をどうにかしたいわけでもなかったが、”経過”するコト自体に、日々足掻きつつ濃厚に関わることになってしまっているなあと、髭も剃らず湯槽の中で、つまらない週刊誌を放り投げた。淡々とした反復作業の間、大往生の床で、死が深々と寿命に応じて訪れるその瞬間に、大きな絶望を引き寄せて、死はやはり肉体的な痛みよりも、大いなる喪失と、絶対停止への恐れのピークであるに違わないと考えていた。このブラックホールのような限りなく収縮する一点に向かう恐怖をどうにかするには、あっけない突然の死が好ましいのか、あるいはまた諦めの眼差しで送られることが望ましいのか、まだ判然としない。
「作品」という自己を其処に形成する為の手段のこれまでの時間を度々振り返ると、勿論稚拙で未熟な確認ができるが、それよりも気になるのは「あの時」といった固有で時には特殊だった空間が、現時点で眺める「作品」の周辺に日々「普遍」の纏わりを新たにする。これは過去が相対的な地図になってしまっているからだが、その輪郭がブレて滲み出すようなモノがある。
幾度も繰り返している「移動」の為の搬送梱包を終え、移動が経過と重なるなと、腰を伸ばして空を睨んだようなその時、カラダではなく遅延した認識に疲労感が漂う。目的(コンセプト)と行為を直線で結ぶ筈の「移動」には、思念の余波が必ず在り、実はそちらのほうが自身にはひどく重要であるのが可笑しい。
作品倉庫を開け、1996年に完成していた「倫理的な眼差し」へ戻り立ち、あの眺めの質が、「死」を示していたかもしれないことを体感する必要がある。
ピックアップからデリバリーを加えて5日で、iBookの修理は完了したが、午前に届く出荷状態のノートを、使える状態にしなければいけない。スペックに応じた限定仕様にして、プレゼン用に特化。5年近く使っているのだなと、これまた「経過」が目の前に顕われる。
Gentaから送られてきたDVDに挿入されていたコンテンツ「mirroring draw」を眺め、ひとつの「映像の洗練された形」として関心する。これが、ある程度のボリュームを伴って展開する時、眺める我々は、絶句して立ち尽くし、モノを考えることをはじめようとするに違いない。
ひとつの顕われが、真っすぐに線的に変容することも、醍醐味ではあるが、その現れから派生する出来事を丁寧に掬い取ることは大切だ。データという顕われを表象するということは、つまり、そこからオブジェクティブな生産の可能性を意味しているのだから、それを無視することは出来ない。
QUARTZの展示終了迄に、ランダム投射6時間程の正確な記録をしなければならない。
BOSE Micro Music Monitor
Dan Holdsworth
Notre Musique : amazon
Instant Light: Tarkovsky Polaroids
white noize(2005)/Geoffrey Sax :There is no real feeling of the sound.
Lady in the Water (2006)/M. Night Shyamalan :The plot is bad.
Hollow Man II (2006) (V)/Claudio Fäh :The screenplay is bad.
Two-Lane Blacktop(1971)/Monte Hellman(1932~) : too cool !,and nice.
The Exorcism of Emily Rose