中途半端な睡眠の中、奇妙な悪夢を見た。乱射事件発生のニュースを眺めて瞼をこすりつつその体感を伴った構造に関心していた。
雨の降り始める前の休日午後、次女と公園でスケボーで遊んでからは、仕事と読書を交互に重ね、気づくと三日過ぎていた。これが当然の暮らしだと疲れも生まれなかった反復の中、広い倉庫の関連付けようのない埃の被った荷物と棚の上の得体のしれない塊を、意味も無く中央に持ってきて置いて出来た新しい眺めに魅了されるような感覚が幾度も膨れたのだった。
木星ではこの系の擁護を意味するので、土星だなと、画像等を調べ、環と衛星は、最近になって確認されつつあるのだと頷いてから、土星より外へ進出する人間が持参する記憶と持ち物などを、風呂の中で考えていた。
量(数)が普遍を引き寄せるのと同じ意味で、「彼方」あるいは「果て」という意志が現在の「此処」を示すという、以前より抱いていたイメージを、読書の咀嚼で今更に文法のように納得するのだが、更に明晰にできないかと、見えたものを言葉にできない歯痒さに苛立つこともあり、食欲は萎え、一昨日の夕食を憶い出せない。
最近は、視認しないと記憶が連動しないので、積み重ねたものを棚に並べ、本棚に向かうように机の向きを変えようかなどと。


仕事(制作)の打ち合わせで、通常業務(リーマン)を終えたgarioが、オフィスに酒を持って訪れたので、酒の意味を訊くと、彼女と別れたという。別れましょうと彼女から切り出されたらしい。笑って話すのだが、それなりに傷ついているらしいので、雨の中外に出て、焼き鳥トリトンにて酒を飲む。
こちらも青い頃、長く付合っていた女性から唐突に別れてと宣告されたコトを憶い出した。当時男は無頓着で、付き合うこと自体の行方など何も考えていなかった。
女が男に別れを告げるということは、もう二度と会わないという意味らしい。逆に男が女にという場合は、限界状況の告知のような「停止」のニュアンスがある。いずれにしろ、宣告以降、カラダは勿論、会話が成立しないことを意味する。土台異なった生物であるので、生殖本能が獰猛な年齢の時期、寄り添いすぎる時間を育んだ上での破綻の感覚は互いに尾を引くかもしれない。別れることなど一向に可哀想などと思わないが、幾ばくかの寄り添いで生まれていた筈の何かを喪失させないでほしいと思った。尋ねると2年付き合ったと、garioから答えが返った。
最近になって、付き合うということは、女にしろ男にしろ、互いを良く知るということではなくて、存在の距離を保つということができるかどうかに過ぎないのではないかと考えるようになった。