地下鉄で「太陽と鉄」/三島由紀夫を、数十年ぶりに読む。:youtube
1925年生まれであるから、生きていれば82歳となる。
80年代には、三島(太宰も)の作品文体に嫌気が差し意識的に読まなくなっていたが(当時ニューアカの情報のマッピングが数段面白かったせいもある)、揺れる車両の中で、あの時の嫌気の理由を再確認する。ある種突き詰めた生を送ったように記憶化されがちだが、作品は、どこか子供じみた幼稚な潔癖が饒舌に張り巡らされ、成熟を嫌った青臭さを、自らで生を断つ迄抱きしめている。排他と否定の文体と自らを査定しつつエンタテイメントを指向する。彼の文学に、今更思うことはないけれども、あえて「三島」を辿り、軸として当時から前後を見渡そうかと思ったのは、彼にこの国の20世紀(100年)のエッセンスが注ぎ込まれているからで、現代から「あの時」への投影映像を知的に試みれば、その後、安保世代が構築した一見豊かな社会が、最近のある種の「恥」を伴って破綻する理由の幾つかも含めて、多分非常に醜いこの国の脆弱(「卑怯な」)の母体が炙り出される。
あらかじめ「わかってしまう」予知の悲劇性という短絡を、読者がシニックに作品に重ねる共感が、それでも出版当時はあったのかもしれない。こちらは、割腹自殺のあった小学校6学年の図工の時間に、陶土で三島の首を模した楊枝差し(大きく開けた口に楊枝を差す形)をつくり、これが友人よりも教諭らに好評で、頼まれて幾つか追加制作したことがあり、思えば、あれが作品受注初めだった。
82歳のご老体が今生きていれば、以降何度も転向を繰り返し、TVなどで唾を吐いている気がする。


最終章「引用の小冊子」に今風の思想が顕われているとも云える「写真論」(1977)/スーザン・ソンタグ(1933~2004)の乱文を捲りつつ平行して、多摩美での自らの講義の教科書として使用しているらしい「映像論」ー光の世紀から記憶の世紀へー(1998)/港千尋 も断片的に辿っていた。
共に、イコンを凌駕する近代以降の写真や映画などの「映像としての顕われ」を探偵の執拗さとツアーガイドの器用な記述に、時にはたぐり寄せられながらも、後味としてもうひとつ物足りない。
「映像の時間的な完結」まで切り詰めて断片化させ併置するこちらのささやかな映像編集の、更に脈絡無く繋げた「完結した時間」の連続を眺め続けた印象の総体が、冷ややかな距離感のある鳥瞰ではなく、喩えとして頻繁に伝えられることがある「死に際にめくるめく走馬灯のように浮かぶ過去の映像」のような、皮膚に近い気配を重く醸すことがあり、映像の力には、未だ踏み入れていない領域があるのではないかと再び考えて、こちらの手触りが重なるものを、記述の中に乱暴に探すつもりもあった。
限定された事象時間枠のソースモンタージュ(この編集手法如何に依るけれども)によって、過ぎ去ってしまった最早存在していない瞬間事象の強制共有を眺めに促す時、不可視であった「死」が、映像と人間の間に首を擡げるのだろうか。
Stayを再度観ることにする。