というと大袈裟だが、回りをみると、こちらの長い間咳き込んだウイルスが感染したと考えられる、Genta,yazaki氏と父親が、全く同じ症状を抱え、聞くとなかなか治らずにいるようで、少なからずも後ろめたい気持ちが生まれていた。
症状が襲った当初は、これは流感だから、人と会う事をやめようと籠るようにしていたが、本人は完治したと思ってはしゃいだ2週目の最後に、目に見えぬウイルスはスキップして他者に乗り込んでいった。
幸いにも、父親は恢復しつつあるようだが、兄や母親の面倒で必要以上、回りが気づかない程、多分ストレスを抱えていた筈の疲労を、逆さまな展開ではあるけれども、この機会に咳き込みと一緒に、溜まった毒としてついでに吐き出すことになれば、罪の意識も若干緩和するだが。
ワックスで床が嫌みな程奇麗に磨かれている桜田門の法務省赤レンガ内にて、煙草を堪えて咳込みを患うyazaki,iijima両氏と、撮影の仕事をしながら、そうした流れで、「不慮の罪」という言葉など浮かべていた。
人間半世紀近く生きていると、ひとつやふたつ罪の意識を抱えるものだと楽観すれば気楽に生きていけるが、体調や気分、季節によって、それが増長し、あるいは黒い穴となって広がることはある。今更背を正してもどうすることもできないと、諦めながら、清く美しく生きる潔癖を眩しいように遠くに眺める自身の卑しい相を、だが、どうにかしたいのよと手がかりを足掻いて探す性は捨てられそうもない。捨てることは潔いように見えるが、捨てたら人間をやめなくてはいけない。
弁護士の群れる法曹会館にて洋食ランチ。yazaki氏ごちでした。ワタシが此処では被疑者のようだと指摘される。格好からやや納得。現像を日本発色に出し、UBOATオフィスにてデータをG5に転送、スケジュールミーティングをしてから徒歩でオフィスに戻る途中、北西の空に縦に垂直に走る妙な雲を見て、地震雲かなと、叫んで予知する卑弥呼を浮かべつつ不安を抱えていた。夕方届いたダメだしの修正等加えて深夜迄ディスクワーク。
エントヴァース(下)も残り半分程となり、物語も佳境を迎えつつあるので、移動に暇を持て余さないが、使い走りであることには変わりない。不具合を直したiBookを飯田橋で次女に渡し、そのまま銀座一丁目の日本発色にて現像を受け取り、アップルに寄ってから、補充の買い物をして戻ると、午後3時間ほど潰れた。
エントヴァース(内なる宇宙)を読み進めて、なるほどスターウォーズやマトリックスなど多くに引用されていたことを知る。
特定の時代のデータは限られたものであるので、例えば1850年のウイーンの都市をワイヤフレームでデータ構築するのはむつかしいができないことはない。データ単位が互いに情報交換をして、ifを構築の手がかりとする演算が、地方分権的に各素子で自立して行われれば、ゲーム空間のような仮想世界に似たクオリティーで、在りし日の時空が顕われるかもしれない。アクセスに応じて流動的にデータが更新されれば、あの時という世界のディティールはより豊穣になっていくことになり、アクセスするモノは、特定の時代を瞬時に移動しながら訪ねることもできる。シミュレーションとしてこれからを構想するコト(フロンティアプロダクション)よりも、こうした史実事実を彫り込むようなシステムの論理構築を、どこかで誰かが行っているに違いない。きっとその実現は恐ろしい程有用だろう。途方も無い可能性を秘めている。
あの時はこうだった。あるいは今はこうだと説明できるデータとは、然し膨大な量であることには変わりない。そういった量を塊として片付けるのではなく、動く粒子そのものとしてまとまりに還元させずに利用できる時、冷徹な神の眼差しというよりも、慈愛のようなエティカが新たな人間性として降りてくるような気がする。
この作家の作品は早々にすべて読んでしまいたい。