時折自分の胸から閃光が脳天へ飛び出すような咳き込みで、はっとして目覚めたことがあったが、丸2日間夢も見ずに昏々と寝込み、熱と頭痛が混じったような曖昧さを額の裏に残し、咳き込みの間隔は緩慢になったけれども、まだひとつひとつの閃光の質そのものには変化がみられない。関節がずれて身動きが壊れた人形のようになった弱ったカラダに、大量に水を補給しつつ、もうこれ以上は眠れないと、開封していなかった幾つかの郵便物に手を伸ばした。
2007年には、36,Dallas Buyer’s Club,The Kite Runnerと公開が目白押しで、Stranger Than Fiction(2006)も個人的には非常に期待したい、Marc Forster(1969 in Ulm, Germany:~)のStay(2005)と、John Maybury(1958 London, England, UK:~)のThe Jacket(2005)を、病中の神経で観る。
脚本・キャスティング・撮影・音響ともMarc Forsterに軍配を上げ、Stayを再度観る。John Mayburyも巷のくだらない監督に比べれば悪くはないのだが、トータルな意味でのクオリティーは、Marc Forsterの知性的な構築能力にジェラシーを感じた程。特にエンディングロールが素晴らしいし、カット毎に仕掛けられたギミックカットが抑制されて納められているので、嫌みが無い。一度観ただけでは気づかない配慮が繊細。
(因に、John Maybury:The Jacketのオープニングが印象的だが脚本・キャスティングに首を傾げる)
幻影をリアルに描くという徹底と、現実を幻影として描く転倒が、このふたつの作品で見事に顕されている。勿論これらを観れば前者の正当性が明らかになる。
湯槽で荒木経惟の展覧会作品集を捲りながら、彼のこれまでの死生観をイコンの上に重ね、季節を忘れ、それまでの疲労感を放り出したままカウチで横になり瞼を閉じてしまったのが、唐突な流感にやられた原因なのだろうが、臨死というテーマの映像を続けて観る事になった偶然は、まっすぐに「死」を思考の手前に引き寄せ、最近のインフルエンザのようにイベント化された「自殺」を、更に重ねて、「死」という消滅あるいは絶対停止の精神という「普遍」を白い紙へなんとか描いてみようとするが、咳が何度も邪魔をする。おそらくStay劇中Henryの絵画作品に影響された。コンテクストのある映像の中にのみ意味を持たせている平面作品の設定も緻密な配慮であり大いに頷く。300でその力を全開するだろうZack Snyder(1966 Wisconsin, USA〜)のDawn of the Dead (2004) で見せた冴えた映像手法も、今回の若い監督らに共通する切れ味があるなと憶い出し、ちらっと作品の冒頭を眺めてモニタ−をオフ。
カラダも精神も冒されたまま、なんとなく月末に発売されるデジタル版M型ライカ「M8」を、R-D1sのパクリだなと眺めてから、M/Lマウントレンズを調べ、なるほど、小市民にはNokton 50mm F1.5 がよろしいようだが、扱いが難しい。比較されるLEICA ELMAR-M 50mm F2.8の値段に呆れる。体温の上昇に怯えながら受け取りを忘れていた現像フィルムのことを思い出す。
やはりもう一日休みましょう。
患ってから三日目の水曜日の夕方になってようやくカラダの軋みがなくなったようだ。咳き込む間隔も、治ってしまったかと思う時が訪れるほどになり、然しだからこそ、唐突なひとつが背骨を震わせるのでむしろ堪えるのだった。
仕事に手を出すと、状況を振り返らずに弱ったカラダを酷使してしまいそうなので、持て余すような気分で、ブログに簡単なイメージflashを挿入加工する。
ゼロに戻ってしまったような気分のする3日休んだランニングを明日の朝はまだ無理だなと、恢復の速度が緩くなった自身の年齢などぼんやり思う。
映像は兎も角、静止画像はプリントアウトし、オブジェ化させないとダメと決め、A3出力のプリンターを探し、EPSON PX-G5100,EPSON PX-5500か、どっち? でもやはり、来年発売だが、canon PIXUS Pro9500か。などと。