草原に立つ人が画面のフレームによって身体を見事に切断されている絵を随分長い時間見ていた。広い画面に道があるわけでもなく、眩しい光もない。首を横に捻って束の間、瞳に流れ込むような一瞬の光景だが、手前に無心に在る草や雑草や、折れた木製の柵などが克明に描かれており、影をみると3人とわかる人間の腕や足、肩と後頭部などの断片の、状態や服装の柄、セーターの織り目も丁寧に描かれている。
不意に作者らしき背の高い少年が、
「中央にモノを見る事をやめて、人類は進化しましたね」
と肩越しに囁いたのだった。私は何も応えずに頷いていた。
カウチから頭だけ崩れ落ちるようにして短い夢を見ていた。
逃走していた少年が死んでみつかったニュースを眺め、自殺だとしたら、彼の死の決意をどう考えたらいいのか、途方に暮れて、再び猛烈な勢いで折り重なってきた仕事に逃げるようにして、抽象だけを捉えようと足掻きながら、疲労というより脱力の短い睡眠の中の喘ぎのような夢が、意味を転倒させ、「稚拙な死」というものはあり得ないと、寝ぼけた頭に漠然と形が顕われた。
重ねて、地味な反復業務の傍ら、9.11特別番組など眺める。
ふたつの外付けHDがぎっしり詰まってしまい、仕方なく、HDH-U250SR [USB 2.0/1.1対応 iSPIS搭載 外付型 セキュリティハードディスク 250GB]¥16800を注文する。


業務提携というと大袈裟だと今でも感じているUBOATが導入したDellのノートのセットアップをすると、なるほど空っぽで無骨だが、使い勝手は良い。
速攻で届いたHDに、用途別にファイルを入れ替えながら不要を削除する作業で一日潰れるので、端末に作業を任せ、雨の中よい散歩となった。
同じ街に留まって季節を幾度か繰り返すと、その変わり目等に過去がくっきり重なり、香りや眺めといった微妙なニュアンスが襞となって織り込まれて、自身の年齢というものを噛み締めることになるのだが、このところ移動ばかり繰り返し、成り行きに任せているせいか、無意識に学生の頃の安易さに生きている時がある。社会も大きく変異し、絶え間ない景観の変化の街に腰を下ろすということはなかなかむつかしい。
Macbook Proか。