この季節早朝の動物の背中のような感触の柔かさが心地いい樹床を経巡り歩く撮影を淡々と行う時はこれといってなんの情動も動かない。徘徊のような歩みから戻って食事の前に机に背を丸め時を注いで撮影の結果を紐解く現像の時間も、興奮は抑えられた日々の過ごしの一部となっていることがよろこばしい。なるほど子供を育てる母親のこしらえる食事も同じようなことであり、炭焼きの人間の営みも同じ。日々の反復が生活の中で一筋に置かれ続ければそれは思想となる。撮影はもとより現像も光に溢れる朝がよいと躯が示すようになった。

樹々の枝と根を同時にみつめる時間が随分蓄積した。樹木の上と下への進行を分つ地表には、枝は光を求め空を切り裂き葉をつけ根は水を求め分解の地中へ開く両極の形態の残滓が溶け合っている。観念で取り組みをはじめたピノッキオは観測によって裏付けられたともいえる。

11月の個展の為図面を引き昨年にひきつづき樋口工業へ鉄加工を発注。インスタレーションと映像を加えた写真画像作品の展示となる予定。