I-O DATA USB 2.0/1.1 1TB HDC-EU1.0
ELECOM USB HUB U2H-Z7S (7 port)
トニー滝谷 (2007) / 坂本龍一 / CD
white out / rental X
paranormal activity / rental X
orphan / rental X
haunting in connecticut / rental X
X : poor work (failure) / Feeling that throws away 1600 yen to ditch.
日本語の危機とウェブ進化/水村美苗+梅田望夫
建築はどこにあるの?7つのインスタレーション / 東京国立近代美術館 / 中村竜治 (1972~) / ~ 8/8
日々の緊張を解き癒されようかと何も考えず、地方の土産物屋の脇にあるDVDの品揃えのように貧相なPlaystation Store のレンタルビデオ(ダウンロード)からそれでも選んで観ると、どれもこれも最悪。ガクリク。即データ削除。夜は、FOR 1+2 (2010/4/22) / alva noto CDをループさせ静かに読書。
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水村 グローバリゼーションというけれど、その一方にはグローバリゼーションに回収できないローカルというか、個別的なものがある。それは人間が地球のさまざまな土地に住み、さまざまな母語を話している限り、必然的に存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのローカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本語で書くことでもって人類に向けて示していかなければならない。すべての人が人類に向って直接書くのを目指す必要はない。あえて言えば、人類という抽象的な対象に向けて書かれたことと、ローカルな人間に向けて書かれたことがちがうのを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類への貢献にもなると思うんです。すべての人が英語という人類語で書いてしまったら、世界はとても退屈なものになってしまう。
梅田 表現の最大公約数みたいなものになってしまうからでしょうか。
水村 そうそう。だから、たとえばインド系のジュンパ・ラヒリがインド人の生活を英語で書いても、それは最終的には英語という言葉に絡め取られた世界になりますよね。英語の世界観を少しは揺るがすことはできるかもしれないけれど、限られています。もちろん、ヒンディー語なりベンガル語なりでインド人の生活を書いたものが英語に翻訳されれば、「ああ、こういう世界もあるんだ」と、人は少しちがったものを感じることができるかもしれない。でも、ヒンディー語なりベンガル語なりでじかに読んだ人は、もっともっとちがったものを感じることができる。グローバルなものに回収しきれない世界の存在を訴え続けることこそ、パブリックな行為だと思うんですよ。
ー■ 特別対談 ■ 日本語の危機とウェブ進化/水村美苗+梅田望夫 (「新潮」2009年1月号より転載)より引用