長女から、鬱だった。体重が激減した。と、その経緯を聴いて泣きたくなったが、蛙の子は蛙だと思った。こちらにも、そうなった理由の一端と、その責任がある。
采配を振るわねばいけない立場となり、最初はまず従わせることを考えたらしい。いかにも若い人間がやりそうなことだ。反発を喰らって凹んだという。もともと無神経が遺伝子に刷り込まれた冷淡な人間ならば、更に酷い言葉の暴力を知らぬうちに吐くけれども、長女は元来気の優しい人間だから、身の丈に合わない立場のズレた言葉の処理が手に負えなかった。中学の頃のいじめも結局親には何も話さず、黙りを貫き、数年経過してから妹の告発でわかったことがある。無神経な親だが、子も意地がある。
 今回は二週間でその意地が挫けた。
 今はもう立ち直ったと自分で話す位だから心配はないと思うが、まだわからない。せいぜい、傷ついたから痛いと声にだせばいい。平気なふりをして堪えると録なことがない。
 俺もお前と同じ年齢の頃、鬱だったと、こいつが男なら、あのなと話すべきことが累々と並ぶが、女だからとこちらも少々言葉を選びがちになる。
だが、柔らかい世界に生きているわけではないから、二十年も生きればいろいろなことがあるだろう。何も考え込まずに済む人生もあるかもしれない。あれこれの痛みに気づかずに過ぎることもある。
傷ついても、生きていければしめたものだと考えてほしいと考えて、あれこれ諭すのはやめた。
良い時に、犬を飼う事にしたなと思った。
 
 いずれにしても、健やかで天然の次女が、長女にとっても家族にとっても、大いなる救いの存在であり、次女自身は考えてもいないだろうけれども、彼女がこれから幾度も挫ける時、皆が待っていたように支えることもわかっているから、まだ大丈夫といえる。今は考え抜きながらトロンボーンを続ける道を探っているのを、皆で手伝うべきだな。
 多分、くよくよする気象の影響もある。