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 随分前にイタリアからDante Alighieri “La Divina Commedia”(イタリア語)と一緒に、UNIFORのプロダクションカタログを送ってもらった。UNIFORのプロダクトは、簡単にいえば世界で一番薄い机ということに突き詰められている。立ち上がってカタログを捲っていた。
 ある達成があるとして、その達成がもたらす異様ということがある。その異様は言葉のままに凡庸と奇異の両極へ振られる場合があっても、同じように異様であり、もたらされた故の生々しい間口が新しく広がっている。UNIFORが果たして火星での薄い宇宙服という道程を踏むかはわからないにしても。
 ほとんど、思想という名の達成の場合、この異様なはじまりの、異質な人間性を余儀なくされる導入は、落ちた穴の底を掘るしかない事と同義であり、同時に上った頂の上に、さらに別の頂を見ることにも似ている。運動のベクトルの問題。光の進行の性質でもある。
 只管を嫌悪しつつ、只管な取り替えのきく業務の燻りから、唐突に連れ戻されたことは幸運だった。折しも雨続きの天候が回復し良く晴れたことに、注文先から額縁の出来上がりの電話もあり、自転車でと思ったが、やはり歩いた。
 馴染みの道すがら微細な差異、変化があり、あるいは大きな変化が、こちらの身体と相対的でないことが、時空の歪みのように思える。眼差しの、まなざす情動は気分ではなく、言語の発動や、意識化を努力することで、うわずったものがとれて、丹田から無理無くストンと吐くようになる。といっても意識には、めまぐるしい言葉と知覚経験の錯綜の中、額の中央に光を集めるような力は必要となる。
 歩き戻ってこれまでは歩行による削除が爽快だったが、最近の傾向はむしろ歩行のうちに秩序を与えた複雑を更に抱き寄せて解析できない膨らみを抱え込んでいるけれども、これは具体的な素材が増えたと考えれば悪くない。