聞き取れない紆余曲折はあった筈だ。克明に聞こえてもそれは彼の人生だからと思う気持は消えなかった。十数年ぶりの連絡があり、では会おうかと、カトウ、ヤマモト、イケダと養老の瀧にて呑む。
もう十五年になるかと、若い所帯を持った教え子たちの、見た目は一向に変わらない若々しさを目の前にして、それでもこうしてこうなったなどと話す顛末を、夢の続きのような心地で聞いていた。
ほら、もうこのひとは五十をすぎていたと納得する三十過ぎの青年らの、十代に加担してしたこちらの過去が、またぶり返すように蘇って、そうだったな。といちいちをおもいだす素振り自体に、何か肩に雨が降るようだった。
でもまあ人生の転機と自らが思う運動を伝えることが、こと久しい人に会うことでなにかしらそれ自体で癒されることもあるのだろう。そう思いながら、あれからこうでしたと話す彼らと変わらずにこちら自身もそうではなかったかと、帰り道考えた。癒し癒されていたわけだ。
娘を風呂に入れてきたというヤマモトの指には指輪が食い込んでおり、十代の顔と今も変わらぬことが、こういうことだなと腑に落ちる安堵のようなものになるのがおもしろい。カトウの話を聞くと変わらない、臆病なやんちゃさも、健全であるが故の幸せの形のようなものになって、ぽんと置かれてある。
世代的には、年下となるイケダも、このふたりに会うことで、むしろ今を振り返っているようだった。
ともあれ、唐突なメールが切っ掛けで会う、若いけれど、久しい人というのは、いずれにしても悪くない。
CD music
ain’t nothing butalitte bito of music for moving pictures / Tibor Szemzor (1955~)
Chopin / maria Joao Pires (1944~),Pavel Gomziakov (1975~)
white bird release / Pan American
Chopin Liszt / Gregory Sokolov (1950~)
Beyond Boundaries guitar solos / Michael Hedges (1953~)
Serge Prokofiev (1891~1953) / conducted by Valery Gergiev (1953~) / Prokofiev Foundation
wood / Brian Bromberg (1960~)
world music / Victor
world Sounds (2008) / Captain Audio
Xerrox, Vol. 2 – (2009), Transform (Original recording remastered) (2001) Alva Noto (Carsten Nicolai (1965~)) / amazon
Down River / John Hart (1965~)
上下ともに購入してしまったので、自身を宥めながらDie Dunkle Seite (1997) / Frank Schätzing (1957~)を読む。翻訳がよろしくない上、プロットや設定があまりに映画化を意識しすぎている嫌らしさがあり、とうとう最後の下りを終えても、そんなギミックや展開は見え透いていると呆れた。Der Schwarm (2004)が、2011に映画公開されるけれども、作家の指向性がもともとそうしたものなのだろう。娯楽性を持つ物語の脚本化手法が、貧しくなるとこうなるという見本。あれこれ科学的描写の誤りを指摘された、Der Schwarm は、映像的になんとかなるかもしれないが、Die Dunkle Seite は、主人公の女性像も描ききれていないし、描写の精緻さやスケールもない。湾岸戦争を語りたいだけのようだが、語り口も古くさい。どたばたも、どたばたを制御している点が恣意の突出とみえる。TVドラマの脚本家といったところか。
これは、今月号のクーリエ・ジャポンにも云える。技術と希望を示すなら、もっと取材を徹底的に飛躍的なものへ向けていただきたい。twitterとかgoogleのITをメインになどと内容が姑息でなんとも貧しい。2010年宇宙への旅を引き合いに出すなら、肉体サイボーグの実現計画や、惑星移住計画などのプロダクトなどの現在を特集していただきたいものだ。
なんとなく根拠がないが印象として、現在を先端で構築している筈の、1970年世代の、どこか空虚な、あるいは足りなさが、最近綻びはじめている気がする。