普段使い慣れた、それぞれが隔たった道を並べて、その間を繋ぐものなどあったかしらと走らせると、知らない別荘地が広がり、開発されて随分経過した疲弊を感じる家並みの、セカンドハウスなのか、移住してしまっているのか、既に放棄しているのか、とにかく身に憶えのない場所を二三度車を停車させながら通り抜け、交通量の少なさが現れる景色の中下ると、思いがけない県道に出て、そこが成る程、待ち合わせの場所だった。
左は崖になっていたが、地理的な見当では、湖があるはずだ。おかしい。山の道の歪むような進む方向に惑わされた。じつはこれが楽しい。
聞けば最近は、熊は勿論、鹿、猪の被害が深刻で、田畑を守るように太陽光発電の電熱線が張り巡らされており、農家の必死がうかがえる。高原野菜の雑草毟りや稲刈りの作業の手伝いをする子どもたちを撮影し、薦められたので長いこと走ったことのなかった県道を下ることにした最中、助手席のゲンタとの会話からふいに過去の一部が溶け、だがそのほとんどは凍り付いたまま、市街に走り戻ったが、夜ベットの上で、溶けた一言から暖めて溶かそうとするが、一向に記憶は鮮明にならなかった。ただなんとなく胸のあたりに甘いものが滲んで消えない。
東京公園散歩 / 矢部智子 (1970~)