Grec Festival Barcelona 2009 / Ryoji Ikeda (1966~)

それ自体は不可視であるデータを、音と光の関係性によって記述するとされる池田の映像・音響作品は、どこか秩序と運動の矛盾を超越するための試みとして始まったバロック的、前世紀的、趣味的と、反復に耐えられないと感じられるのは、不規則な形状の歪んだ真珠、あるいは論理体系を構築するうえで複雑で難解な論法を指したというその語感を引きづり、加えて踊りを排するウルトラミニマルなクラブ空間を想起させる暗闇に浮かぶ非現実的な空間での構成メソドからと思われる。超高周波などのデジタルノイズは、音響的には可愛い部類であるから、時間の経過とともに貧しさも加わる。文脈を辿り直し「歴史的な音」の現在への介入を期待したい。そういう意味でヨーロッパの石組みの歴史空間がつくる闇ではそのまま照応し響くのだろうが、途上国のアイディアのような拙さは消えない。